作成1997.1.15
一部変更2000.8.2
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自己紹介

市橋 昇
生まれ 昭和23年1月 山羊座
趣味
  パソコン........あまり得意とはいいがたいが........。
  囲碁  .........囲碁大会があるならどこへでも行く。初段。1級のとき県のある大会に勝ち全国大会に3回出場。1度は東京の日本棋院、あと2度は静岡県の伊東温泉。温泉に入ってお酒飲みながら碁が打てるなんて、しかもあご足つきだなんて、極楽極楽。その後の進歩がはっきりしなくて悩んでいる。いつも碁会所でいじめられている割には強くならない。
  写真  .........昔の話だが「朝日カメラ」を熟読し、森山大道に感動していた時代がある。年間36枚撮りフィル
           ム100本を目標に撮りまくっていた。駄作の山。両津市展で奨励賞をもらったことが自慢。気を
           よくして県展に2年続けて出品、全部落選。自分のものより下手くそなのが入選していると思い、
           恨めしく思ったものである。酒田の「土門拳美術館」へは部活の生徒達と3回くらい行った。
  超伝導物質.......趣味ではないが、当時の物理部員と超伝導物質作りに挑戦していたことがある。失敗ばかり繰り返
           し、試行錯誤の末、1年後くらいに成功。これが私の宝物の一つ。

厚さ4mmの円盤。液体窒素で冷やすと
この上1mm位の高さで小さな磁石が空中に浮く


パソコンの思い出
コンピュータとの出合い
昭和44年夏、大学4年生の時、暑いからコンピュータ室へ行こうとさそわれてコンピュータ室に始めてはいる。コンピュータというやつは冷暖房完備でゴミもない部屋でなければ生きていけないやつなんだって、と教わる。人間より偉い。しかし、このとき涼しかった思い出はあるがコンピュータを見た記憶がないのはどうしてだろう。
初めて通産省第2種情報処理試験を受ける
昭和46年、教員になって2年目、情報処理試験というのが始まったときいて、おっちょこちょいにも受験しようと決める。「日本電子計算学院」というところで半年間の通信教育があるというので申し込む。給料3万円の時代に1.5万円郵便局から送金する。2日後の新聞の3面記事でそこが倒産したと大きく出ている。「金返せ!」と悔しがる。しかし教材はその1週間後に送られてくる。添削とかはできないが最小限のものを得て少しほっとする。だが、全くの初心者が、不親切な教材を見ても何も分からない、かじってみるがスルメをかむようなわけにいかず砂をかむ思いであった。紙のキーボードをたたいて練習しなさいと書いてあったが、3分で投げ出してしまった。しかし、それにも懲りずに東京までこの試験を受けに行く。やはり惨敗。まだ、コンピュータを見たこともさわったこともないのであった。
日本電子計算学院の教材はとおの昔に捨ててしまったが、そのとき一緒に入っていたテンプレートという定規はなぜか今も手元にある。
初めてマイコンを見る
昭和52年夏、村上桜ヶ丘高校に勤めていた。その年に卒業した竹内君が学校へマイコンを持ってきた。その日は部活で学校に泊まって星を見る会をやっていた。彼の持ってきたのはおそらくNECが最初に発売したマイコンのトレーニングキットTK80という名機だったのだろう。ICがむきだしで、キーは数字のキーだけであった。彼はまもなくなんと60万円(当時の金だから給料の10ヶ月近くもしただろう)も出して外国からフロッピーディスク装置などというものを買ったりして驚いたものである。彼は私と同じく英語に弱かったはずであるが、英語の説明書しかない米国製品をよくものにすると感心したものである。
私もBASICを始める。
昭和53年、数学科にある新型計算機、キャノンのBX10というのがBASICが走るというのを知り借りてきてプログラムを組み出す。物理の生徒実験やクラブの実験に大いに役立つ。当時は実験をパソコンにやらせてプリンターに印字してみせるだけで生徒は感動して見てくれていたし、こちらも大いに鼻高々であった。ディスプレイは2行だけであったし、漢字はもちろんひらがなも使えなかったのであるが。
初めてパソコンを買う
昭和59年、やっと自分のパソコンを買う。NECのPC8800markU一式で607,000円を負けてもらって508,000円。うれしかった。もちろん学校において、物理実験で生徒に使わせたりクラブの生徒に使わせたりして自慢していた。生徒はいろいろはゲームソフトを持ってごそごそ集まってきた。
2代目パソコン
昭和62年、2代目としてPC9801VXをかう。一式(ディスプレイは買わず)62万円を43万円にしてもらう。
通産省第2種情報処理試験再挑戦
昭和63年、クラブの生徒がこの試験を受けるという。無理だ、とわたしは止めるがどうしても受けるという。私がほしい資格を生徒が先に手に入れるのは”許せない”などと思ってしまい、負けずに私も受けることにする。この夏7月から8月の2ヶ月間一生懸命勉強する。特に、最初の2週間、目途の立つまでは必死であった。新潟商業高校が受験場であったが私のはいった教室は40歳くらいは私だけ、30歳くらいが一人、他はみな20歳前後であった。無事合格。
3代目パソコン
平成4年12月、PC9800FA本体のみ29万円。
4代目パソコンでインターネット
平成8年4月、勤務校でインターネットをはじめさせたい。そのためにはまず自分でインターネットをやってみなければならない。そのためには新しいパソコンを買うしかないと思い、3代目はあまり使ってなかったのだが仕方なくまた買う(PC9821V13VALUESTAR29万円)。妻には、これも仕事なんだと言い含める。


このページは佐渡農業高校のホームページの一部として1997年1月に作成したものを少し変更したものです。佐渡農業高校に在職した10年間は情報処理の授業が中心で、ワープロ検定、コンピュータ利用技術検定などに生徒がよく頑張ってくれました。また、農業クラブの情報処理競技会では私も熱が入り、生徒に使わせるために自分でノート型パソコンを(5代目パソコン ’99年1月 NEC lavie NX 27万円)を購入し、もっとも使いやすいと思われるキーボードを購入して外付けたりもしました。’97年駒形君と鳥取へ、’99年石田君と富山へと全国大会に出場。この競技への思い入れは選手以上だったかもしれません。........2人とも30°を越える夏休みに頑張った。駒形君の時はパソコンが熱のためダウンして1月間使えなくなった。石田君の時はパソコンのダウンだけはさけようとパソコンに扇風機を当て続けた。彼は汗を出しながら頑張った。やはり選手の執念の方が上だったのだね。

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