味噌資料館 > 文化の旗手 > 県立羽茂高校の寄贈
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県立羽茂専修農学校寄贈 昭和9年、1934年、当時羽茂村村長として羽茂味噌合資会社社長本間瀬平を擁立したマルダイは、 その資力と政治力の全部を傾注し地域文化確立のため現在の県立羽茂高等学校設立に挑戦した。 佐渡郡会の決議、新潟県知事町村金吾への陳情を経て、ついに設立に成功したその栄誉たるやいかほどかと 誇りに思う。 今は昔、その歴史と経緯を知る人々も鬼籍にはいり少なくなったが、この学校を卒業した多くの健児の 青春時代は今も沸々と彼らの脳裏をよぎる。汝、今、齢75歳にいたる。 マルダイ栄光の軌跡。
電気・電話・消防自動車・ピアノ・映画・相撲・緞帳・公民館・屋台・皇族・歌手 昭和の時代は、羽茂村へマルダイが文化導入の揺籃・成熟期でありました。 佐渡が島全体でわずか6台しか車がないそういう時代、マルダイは2台の車両を擁し文字どおり村民に車を 手に触れさせる啓蒙をいたしました。 また羽茂電話局寄贈は地域利便性と、文化交流に一大貢献をなすものでありました。 さらに消防車なんか一台もなかった佐渡が島で、羽茂村は着々と消防体制を整備すべく村内に8台の消防 自動車を寄付し村民の安全に寄与いたしました。 公民館を建設する、舞台の緞帳を寄贈する。小学校・中学校のビアノは全部マルダイの寄贈品でありました。 古い歴史を大切にしつつ新しい文化導入に果敢に挑戦するマルダイ、今日の佐渡火力発電所のさきがけは 通産大臣高碕達之助への陳情の奏功でありました。電気のない時代、マルダイは蒸気エンジン発電機で地域に 灯りを灯しました。映画・相撲・祭屋台、どれもこれもマルダイ一色の時代でありました。 皇族・文人・スポーツ・歌手、マルダイ歴訪の故事は、実はマルダイの所有する車両の機動力の賜でありました。 今は昔、懐かしい歴史の一端であります。